「理系とは?」と街角で100人に聞けば、
みう 「りくつっぽいですぅ」
りん 「はなしがくどいみゃん」
そうそう、そのあたりがトップ10に入る回答だろうか。
以下、理系おじさんのくどくて理屈っぽい、
理系の話がくどくて理屈っぽくなる理由の話(あくまで私見)。
ポイントは以下の2つ。
1)理系は「自分の話が正しい」と聞き手に理解してほしい。
2)理系は「自分の話の正しさ」を一所懸命説明しようとする。
さて、1つずつみていこう。
1)理系は「自分の話が正しい」と聞き手に理解してほしい。
● 同じことを繰り返すことを「くどい」と言う。
理系という人種は、真理の探究を生業としている。
平たく言うと「なんでそうなるの?」の答え探し。
※ コント55号を思い出せる方は、まぁそういう方々である。
みう 「『ネコさんはかわいい』 は うちゅうのしんりですぅ」
生業にする以上、他人に成果を発表する必要がある。
大抵は
仮説を立て → 自分の検証内容を述べて → 仮説が正しいと結論する
というテンプレートを用いている。
常日頃、「自分の仮説が正しい」と結論したい、と考えていると、
「間違ったことを発表するのは良くない」と考えがちになる。
そして通常の会話にも「間違ったことを話す罪悪感」
という感覚を持ち込んでしまう。
りん 「うそつきはえんまさまにしたをぬかれる みゃん」
そして、間違ってないと確認してもらって安心したいがためか、
普段の会話でも、聞き手に「自分の主張」への賛同を求めたがる。
賛同してくれるまで、手を変え品を変え、何度でも。
これが理系が「くどい」と思われる一因となっているのであろう。
2)理系は「自分の話の正しさ」を一所懸命説明しようとする。
● 「あれがこ~で、これがあ~で・・・」と推論を重ねることを
「理屈っぽい」と言う。
例えば、「うちのみうはかわいい」と聞き手に賛同してほしいとする。
仮説 → 検証 → 結論、というテンプレートを用いると、
仮説:「うちのみうはかわいい」
検証:「猫はかわいい」という正しいと認められている理論がある。
みうは猫なので「猫であるみうはかわいい」と言える。
結論:よって、仮説「うちのみうはかわいい」は正しい。
※ 「猫はかわいい」を理論と言うと大仰か。定理と読み替えてもらって構わない。
「猫はかわいい」という理屈っぽくない理論を持ち出したのに、
理屈っぽい。
そもそも理論の適用を検証するのに
「AならばBだ」等の推論を用いないことなどありえないので、
検証の部分は「理屈っぽく」なる方が自然なのである。
※ A:「みうは猫である」、ならば
B:「猫はかわいい」の「猫」を「みう」に置き換えられる、と述べている。
※ 理論S「猫はかわいい」では猫が適正な対象Xであり、
猫ではない蜘蛛等に理論Sを適用しても正しい結果は出てこない。
理論を適用する対象が理論に対して適正であるかが検証が必要な重要項目である。
みう 「ネコはかわいいのだから、みうもかわいいですぅ」
この検証の無い一文で済めば、
理系は理屈っぽいとか言われないで済むかもしれない。
以上から、理系がくどくて理屈っぽいのは、
日頃、生業である真理の追及に没頭するあまり、
その思考回路を日常にも延長してしまうためである、
と考えられる。
仕方ないよな。
3)理系も改善は試みている。
● 改善したいのだが、結局は改善できてないのだけれど。
理系も、くどくも理屈っぽくもなく話したい、とは一応は思ってる。
そこで打つ手の1つが同一視。
※ 例えば、こんな同一視の事例。
昔の工場のショーケースの金属枠の組み立て工程で、
ネジ留めした後の枠にガラスが入らないという問題が発生。
血と汗滲む苦労の結果、ネジを締める力(トルク)が強すぎると
枠がわずかに歪むことが原因と判明。
時代は進んで、プラスチック製の枠を接着剤で留める工程で、
留めた後の枠にガラスが入らないという問題が発生。
昔を知ってる古参の職人さんが「以前のネジ留めのトルクと同ぢじゃ」と気付いて、
早速接着剤の塗り方と硬化条件を調整して解決。
本来は様々な検証を経て結論される不具合の原因が、ネジと接着剤の同一視により
「以前のネジ留めのトルクと同ぢじゃ」の一言で済んでしまった。
同一視するには、
理論Sに必要な特徴においてXとZの共通点を見つけ出す。
平たく言うと、理論Sに適用するという条件下で
「ZをXに見立てられれば良い」である。
対象Xが理論S対し適正で、
理論SによりXは正しいと結論できることを
いちいちこう書くと長いので、
【理論SでXは正しい】と書くことにする。
さて、同一視を用いれば、
「【理論SでXは正しく】」、かつ
「理論Sに必要な特徴においてXとZは同一と見なせる」ならば
「【理論SでZも正しい】」である
となる。
りん 「りんとこけしをどういつし みゃん」
自分の主張Zを理論Sに適用できると説明するか、
既に適用できると判明しているXと同一視できると説明するか。
楽で理屈っぽくない方を選べばよい。
が、残念ながら、大抵はどちらも理屈っぽいことが多いんだなぁ。
※ 上記の例では、「枠を留める際に余計な力が掛かると枠が歪む」という理論において、
「枠を留める」のが「ネジ」なら正しい、つまり枠が歪むという結果が得られる。
かつ、「ネジ」も「接着剤」も「枠を留める」という点で同じで、同一視できる。
なので、「枠を留める」のが「接着剤」でも枠が歪むという結果が得られる。
他の可能性を一切考慮せず、最短で解決できたのだ。
4)同一視に基づく理系の特性についてもう1つ。
● 困難な検証が「見立て」で可能になる、かもしれない。
また平たく言うと、
「いろんなものに見立てられるものは有益」である。
【理論Sで正しいA】と同一視できる対象Bがあるとする。
Bが【別の理論TでBは正しい】なら、【理論TでAも正しい】。
※ 【理論SでXは正しい】は、対象Xが理論S対し適正で、
理論SによりXは正しいと結論できることを示す。
自分の主張Zの正しさを理論Sで検証するのが非常に困難でも、
BとZが簡単に同一視できれば、
【理論TでZは正しい】により正しいと簡単に結論できる。
少なくとも、そういう可能性がある。
なので、本来別のものについて
同一視すること、共通点を探すこと、
別のものに見立てること、
に理系は血眼になる。
そして、多くのものに見立てられれば価値が高いと考えるのである。

りん 「ジャンボマッシュルームでひつじさんみゃん」
みう 「えびふりゃーでしゃちほこですぅ」