神様のゲーム
そろそろ年越しということで、
皆様、よいお年をお迎えください。
みう 「よいおとしを おむかえくださいですぅ」
りん 「あと2つねると ねしょうがつみゃん」
ということで、時候の挨拶終了。
年末も押し迫って、こちらへのお客様も減ることだろう。
年内最後は、理系おじさんの独演会。
クリスマスも過ぎたし、神様について思うところを少し。
誰もが知ると言えるほどの宗教界の大メジャー、
中東発祥、全知全能の神様のおられる一神教、
ユダヤ教から、キリスト教、そしてイスラム教の流れ。
教典([旧約]聖書、新約聖書、コーラン)の邦訳やら解説やら
いろいろ出版されており、
目にされた方、エピソードをご存じな方も多いだろう。
そこから、神様について疑問をいくつか書き出してみると、
1)世界の創造から最初に人間へ啓示を与えるまで、
神様は何をしていた?
2)神様は何故人間を
「正しい道」だけを進むように
「正しい道」から外れないように作らなかったのか?
3)神様は中世以降は何をしてる?
4)神様の目的は?
「正しい道」とは、神様を盲目的に信じることで、
疑ったり疑問を持ったりしてはいけないそうだ。
「正しい道」を進んでいる人間を「信者」、
「正しい道」を進んでいない人間を「異教徒」と呼ぶことにしよう。
※ 疑問に関して、もうちょっと詳しくは、追記の方へ。
現実の神様を考察対象にするのは畏れ多いので、
ここでは、大メジャー宗教を離れて、
上記の1~4)という疑問を持つ仮想の一神教の、
その全知全能の神様が何をしたいのか、
疑問4)に答えることで1~3)を説明できないか、
愚考してみた。
※ 現実の大メジャー宗教については、神学者やら専門家やらが、
もっと正確な情報を元にいろいろ考察をしてるはずだが、
経典の邦訳すらまともに完読したこともない理系おじさんには理解不能な面も多いのだ。
なので、現実の宗教を離れるという技で逃げだした。
もっと正確な情報を元にいろいろ考察をしてるはずだが、
経典の邦訳すらまともに完読したこともない理系おじさんには理解不能な面も多いのだ。
なので、現実の宗教を離れるという技で逃げだした。
思いついたのは、神様はゲームをしてるんじゃないか、という説。
ゲームのルールは以下の通り
A)最初にゲームの盤面(世界)と駒(人間)を用意する。
生まれた駒はゲーム盤に配置され、
死んだ駒はゲーム盤から排除される。
駒は「信者」と「異教徒」のどちらかであり、
駒の意志でのみ、一方から他方へ変心できる。
B)ゲームの目的は、
「異教徒」から「信者」に変心した正味の駒数X-Yを
最大化すること。
X:「異教徒」から「信者」に変心したまま排除された駒数
Y:逆に「信者」から「異教徒」に変心したまま排除された駒数
※ 「信者」や「異教徒」の駒数ではなく、『変心した』駒数であることに注意。
※ 駒数はプレイ時間での累計とする。
※ 駒数はプレイ時間での累計とする。
C)ゲームのプレイ時間は有限の制限付き。
※ 他に、神様が駒の変心を促すための行動に関するルール
D)神様は駒に直接お言葉を与えられないが、
指定した預言者の駒には直接お言葉を交わすことができる。
E)神様は「異教徒」には恩寵と劫罰を与えられるが、
「信者」にはそれらは与えられない。
F)神様はお言葉と恩寵・劫罰以外は使用禁止。
※ ルールD~F)の詳細は追記で。
D)神様は駒に直接お言葉を与えられないが、
指定した預言者の駒には直接お言葉を交わすことができる。
E)神様は「異教徒」には恩寵と劫罰を与えられるが、
「信者」にはそれらは与えられない。
F)神様はお言葉と恩寵・劫罰以外は使用禁止。
※ ルールD~F)の詳細は追記で。
このルール下で各疑問1)~4)は、以下のように説明できると考えられる。
疑問1)と2)は、最初に「異教徒」を増やしておかないと、
X(「信者」に変心した駒数)を増やせないから、
と説明できる。
これは、「信者」を一旦「異教徒」にしてから再度「信者」にしても
累計の変心した駒数の差X-Yは変化しないため、
最初は「異教徒」をゲーム盤に配置し、
その後「信者」へ変心させる方が
ゲーム戦略上有利なためである。
※ 始めに「信者」→「異教徒」でX→X+1、次いで「異教徒」→「信者」でY→Y+1なので、
トータルではでX-Y→(X+1)-(Y+1)=X-Y。
トータルではでX-Y→(X+1)-(Y+1)=X-Y。
疑問3)は、ゲームが制限時間を越えて終了してるから、
最近は神様の出番がない、と考えられる。
駒の社会が発展してきたゲーム盤を眺めて、
「しばらくは儂抜きでやってみぃ、大丈夫じゃろ」
という、駒への信頼の証かもしれない。
疑問4)に対するここでの仮説は、
ゲームの勝利(ゲームの目的達成)である。
もしかすると、「異教徒」が「信者」に変わる過程を眺めること自体が、
神様の楽しみなのかもしれない。
ゲームの盤面①であるこの世界①に干渉できるの神様①の他に、
別の神様②が別の盤面②で、同じルールでゲームをし、
勝敗を競っているのかもしれない。
ま、ゲームに勝ったらどうなって、負けたらどうなるかまでは、
愚考の範疇を越えるだろう。
※ この世界①には他の神様②は干渉できないので、
世界①の駒には神様①が唯1人いらっしゃるのと同じである。
※ 世界②は、例えば中国や南米といった地球の別の場所でも良いし、
他の惑星かもしれないし、他の宇宙(いわゆる平行宇宙ってやつか)でも構わない。
世界①の駒には神様①が唯1人いらっしゃるのと同じである。
※ 世界②は、例えば中国や南米といった地球の別の場所でも良いし、
他の惑星かもしれないし、他の宇宙(いわゆる平行宇宙ってやつか)でも構わない。
こんな感じで、仮想の一神教に関する疑問1~4)は
神様のゲームで説明できる、と思った。
話を大メジャー宗教に戻すと、
全知全能の神様って、
何でも知ってるし、理解できるし、実現できる。
これ、実は退屈なのではなかろうか。
知る喜び、理解する喜び、達成する喜び。
神様は、これらを持ちえるように人間を作り、
その人間をこよなく愛しており、
そしてちょっとだけ羨んでるのではないだろうか。
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