今回の1枚 (209) 休め
気を付け! の次は
休め!
だらけすぎ。
さて、今回の愚考は、
社会主義と自由主義、共産主義と資本主義 ・・・
これまた、とんでもないものを。
これらの言葉は歴史も複雑、定義も変遷、
派生・分裂、なんでもあり。
なので、細かいことにはこだわらない。
昭和な世代はいわゆる東西冷戦から
ベルリンの壁崩壊やらソ連崩壊やらを見てきており、
社会主義と自由主義、共産主義と資本主義は
それぞれ対立軸として認識してる方が多いだろう。
今回は、対立軸としての起点はどの辺にあるのだろうか
なんてことを、常識も知識も経緯も何も無視して考えてみた。
で、結果として出てきたのは、
多様性を許容する自由主義と、否定する社会主義、
なんてフレーズ。
社会主義というか集団・全体主義というかは、
集団・全体(以下集団)のためにあれ、って価値観を持ってる。
共産主義は平等であれって価値観。
歴史的には資本家の搾取による貧富の差の拡大への対抗
って流れがあったので、
資本家の搾取への反対の主張が目立つのだ。
集団のための策とか方針、その議論とかは
いくつもあっておかしくないのだが、
そのために集団が分裂するような事態は
集団のためには好ましくない。
なので、思考の多様性は許容せず、
他の思考を押さえつけて
集団を単一の思考一色に染める傾向が顕著になるのだろう。
手っ取り早いのは力を有する権力者(あるいは権力層)が
力に任せて全体を統一する方法だろう。
集団が小さく、
集団の外部に敵(自然とかも含む)でもいるなら、
集団・全体主義のメリットは大きいと思われる。
危機に対するスピーディな意思決定が可能であり、
決定された意思に集団を従わせることで無駄を削ぐこともできる。
生きるか死ぬかの瀬戸際の集団には重要なことであろう。
※ 小松左京に物体Oって小説があったな~
そういう集団では問題に対して
あ~でもないこ~でもないって悠長に議論する、とか
一旦決めてもやっぱり従わない、なんて連中を従わせる、とか
無理。
ただ、決定が問題に対して有効でなかった場合、
即座に集団が崩壊する危険と背中合わせでもある。
(北の首領は大変だ)
こういう時に多様性を許容してると、
次善三善の策をすぐに用意できるのだが。
自由主義というのは、この辺は強い。
問題に対して悠長に
あ~でもないこ~でもないって議論してる時間はない場合でも、
策が数多くあるなら、有効そうなものから試そうか、
という時間削減策が採れる。
その代わり、役に立たなかった自由の結果は無駄になる。
なので、集団に余裕がないと、とたんに手詰まりになる。
集団が大きく、多少(?)の無駄が許容できるなら、
問題や危機に対して強くなるのだろう。
この問題や危機に対する堅牢性/脆弱性は
権力層の選出にも当てはまる。
自由主義では誰を権力層にするかも自由だし、
失敗したと思うなら次を選べば良し、となる。
先の権力層も、問題解決に失敗したと思わない人々の庇護を
頼ることができる。
が、社会主義では多様性や、次善の用意が嫌われるので、
権力層の入れ替えがスムーズにいかない。
仮に権力層が入れ替わったとすると、
問題解決に失敗したと思われた先の権力層に居場所はない。
失敗したと思わない、なんて
集団の意向に反する考えは排除されるからである。
と、つらつら考えてみれば、
どちらがいいという話ではなく、
一長一短、状況に応じてどちらを選ぶかって話だろうか。
危機的状況にある小集団とか、
絶対に失敗できない状況とかなら、
社会主義的、共産主義的な考え方は有効そうだし。
無駄に耐えられるなら多様性に重点を置く自由主義的な考え方の方が
社会は柔軟になり長続きしそうだし。
さて、新冷戦なんて単語が聞こえ始める昨今。
どうなることやら。
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