密林袋は人気あり
前回に続き、今回も密林の紙袋。
今度は、りんが入ろうとしたが、
いくらりんでも、入るには袋が小さかったようだ。
それはそれで楽しめるのかもしれないが。
ここのところ、動画が多い気がするので、
切り取り静止画も。
くりくりおめめのりんたん。
思ったより画像のお顔が小さかったので、拡大。
くりっくり。
もう1枚。
ルーズスキンの背中。
ちょっと盛り上がりが足りんか。
今回は、理系おじさんの文化論、もどき。
文化とは、理系おじさんの愚考によれば、価値観である。
※ 文化が価値観であるということ自体は、理系おじさん独自の発想というわけではなく、
辞書を引けば「価値観」という文言を見つけることができる。
見つけられない辞書もあるけど。
どうやら、文化を社会と繋げる捉え方が多いらしい。
一口に文化と言っても広過ぎて、様々な学問的方面から考察されてきた結果、かな?
辞書を引けば「価値観」という文言を見つけることができる。
見つけられない辞書もあるけど。
どうやら、文化を社会と繋げる捉え方が多いらしい。
一口に文化と言っても広過ぎて、様々な学問的方面から考察されてきた結果、かな?
前回の世界観(宗教)と、
その世界における利益の最大化(信仰)には、
利益(幸福度、満足度、充足感等との言い換えも可)を推し量るための、
基準となる天秤が必要である。
この天秤が価値観、つまり文化である。
世界観の個々の要素である、世界の構成要素やそれらの関係について、
文化と言う価値観を用いて、
利益があるか、あるならどうすれば最大化できるかを判断し、行動する。
こうして日々の生活を送るのである。
※ 利益ではなく損失があるなら最小化を図るが、それも含めて利益の最大化と呼ぶことにする。
※ 世界観には価値とは無縁な要素もある。
例えば、地球は約45億年前に生じたという西洋科学の世界観は、
それを研究する人間以外には利益にも損失にもならないので、
多くの人間はこのことに関して何か行動を選択することがほぼなく、価値を見出しづらい。
※ 世界観には価値とは無縁な要素もある。
例えば、地球は約45億年前に生じたという西洋科学の世界観は、
それを研究する人間以外には利益にも損失にもならないので、
多くの人間はこのことに関して何か行動を選択することがほぼなく、価値を見出しづらい。
この理系おじさんの捉え方で言うと、
宗教 → 文化 → 信仰、という行動決定の流れは、
世界観 → 価値観 → 利益の最大化、という
判断の流れ上にある。
よって、文化と宗教、信仰とは切っても切れない間柄である。
※ だが、宗教と聞くと一切耳を貸さないのに、文化と聞くと熱心になる一部の人間がいる。
世間様一般論的に考えても、宗教の捉え方が狭すぎて、トラブルの種になるんだよなぁ。
世間様一般論的に考えても、宗教の捉え方が狭すぎて、トラブルの種になるんだよなぁ。
理系おじさんらしく、ここでの文化の定義をしておくと、
文化とは以下の条件を満たす価値観である。
・多人数からなる集団で共有されている価値観である。
・世代間で(後世へ)継承されている価値観である。
価値観の対象が文化財である。
※ 例えば、
● 浮世絵を愛でることは日本の文化、浮世絵は日本文化の文化財である。
現在でも浮世絵展の集客力は抜群である。
つまり、日本文化を持つ集団の構成員の多くは浮世絵を見る
(あるいは係わる)ことに幸福感や満足感を感じ、
だから浮世絵を見るという行動を取る。
● ホットドッグを食べることは米の国の食文化、ホットドッグが文化財である。
一説には 「約160年前にドイツ移民が温めたソーセージを
パンに挟んで売ったのが始まり」 とか。
現在は1人当り年間60食を消費するほど愛されている。
つまり、米の国の国民はホットドッグを食べるとめっちゃ美味いと
(非常に大きな幸福感と満足感を)感じ、
だからホットドッグを愛し、ほぼ6日に1回はホットドッグを食べるという行動を取る。
● 寄付は欧米では文化とされると言われている。ボランティアとかもそうだが、
これでもか、そこまでするか、というほど、やる。
欧米系の宗教で施しを良い行為としているのと、
こちらの方が重要かもしれないが、
現世と天国や地獄は一方通行で戻ってこられず、現世の罪を死んでから償うことができない、
とされているから(転生とかの概念がないんだな)。
生きてる間にどれだけ善行を積むか、
天国へ行けるかどうかの一発勝負なのである。
● 浮世絵を愛でることは日本の文化、浮世絵は日本文化の文化財である。
現在でも浮世絵展の集客力は抜群である。
つまり、日本文化を持つ集団の構成員の多くは浮世絵を見る
(あるいは係わる)ことに幸福感や満足感を感じ、
だから浮世絵を見るという行動を取る。
● ホットドッグを食べることは米の国の食文化、ホットドッグが文化財である。
一説には 「約160年前にドイツ移民が温めたソーセージを
パンに挟んで売ったのが始まり」 とか。
現在は1人当り年間60食を消費するほど愛されている。
つまり、米の国の国民はホットドッグを食べるとめっちゃ美味いと
(非常に大きな幸福感と満足感を)感じ、
だからホットドッグを愛し、ほぼ6日に1回はホットドッグを食べるという行動を取る。
● 寄付は欧米では文化とされると言われている。ボランティアとかもそうだが、
これでもか、そこまでするか、というほど、やる。
欧米系の宗教で施しを良い行為としているのと、
こちらの方が重要かもしれないが、
現世と天国や地獄は一方通行で戻ってこられず、現世の罪を死んでから償うことができない、
とされているから(転生とかの概念がないんだな)。
生きてる間にどれだけ善行を積むか、
天国へ行けるかどうかの一発勝負なのである。
注意する点としては、価値観は
「価値がある」「価値がない」の2値ではなく、
簡単化しても3値
「良い(ポジティブな)価値がある」
「悪い(ネガティブな)価値がある」
「どちらでもない」
であることが挙げられる。
悪い価値を有する文化財があるので、文化には
「○○を避ける、忌避する」というタイプがある。
ある集団の文化で良い(悪い)とされる文化財も、
別の集団の文化では悪い(良い)、
あるいは良い悪いが明確でいないとされる場合も多い。
※ 例えば、
● ヒンドゥー教では牛肉食は忌避される。
シヴァ神が乳白色の牡牛に乗っているので、
牛は聖なる動物であるとされているからだそうだ。
しかし、牛は多くの文化で食用とされている。
● 多くの文化で、その文化を有する集団に属する人間の殺害は忌避される。
しかし、異教徒を殺害することはOKという場合もある。
● ヒンドゥー教では牛肉食は忌避される。
シヴァ神が乳白色の牡牛に乗っているので、
牛は聖なる動物であるとされているからだそうだ。
しかし、牛は多くの文化で食用とされている。
● 多くの文化で、その文化を有する集団に属する人間の殺害は忌避される。
しかし、異教徒を殺害することはOKという場合もある。
この価値観の良し悪しが分かれる文化財については、
当事者間では、その良し悪しについて、妥協などできない。
妥協は、それぞれの文化の大元に根を下ろしている
世界観の否定に繋がるからである。
※ 前回の作り話の「医療行為を受けずに神様の御許へ行く」という文化を、
母親の所属していた集団Aは良いとし、母親の引っ越し先の集団Bは悪いとしている。
良いにしろ悪いにしろ、どちらかに統一するには
もう片方の世界観を根底から覆す必要がある。
集団Aはこの文化によってこれまで相当多数の死者を出しており、
世界観の変更は彼らの死が、そして彼らの死を選択した自分達が否定されるのである。
一方、集団Bが医療行為を拒否して死んでいく文化を良しと受け入れるなら、
これから自分の親や子供、自分自分も、助かると知っていても
死んでいかないといけなくなる。
どちらも受け入れられないだろう。
母親の所属していた集団Aは良いとし、母親の引っ越し先の集団Bは悪いとしている。
良いにしろ悪いにしろ、どちらかに統一するには
もう片方の世界観を根底から覆す必要がある。
集団Aはこの文化によってこれまで相当多数の死者を出しており、
世界観の変更は彼らの死が、そして彼らの死を選択した自分達が否定されるのである。
一方、集団Bが医療行為を拒否して死んでいく文化を良しと受け入れるなら、
これから自分の親や子供、自分自分も、助かると知っていても
死んでいかないといけなくなる。
どちらも受け入れられないだろう。
異文化の接触というのは、非常に危険だし、
悲劇に終わることが多いのだ。
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